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砂漠

現在の期間限定展示

​「月の出の岬」
山本丘人
​日本画

夕闇の静寂の中で波静かな海に響き渡るは岩に打ち付ける波しぶきの音のみ、それを聞いているのは薄暗い空に浮かぶぼんやりとした光を放つ月だけ。

耳を澄ませば潮騒の輪郭がはっきりと浮かび上がってくるような、人の声に遮られることのない、海本来の静かなざわめきが聞こえてくるかのようである。

 

遠くの岩山は比較的あっさりと描き、近くの岩山には粒子の粗い岩絵の具を使用して風雨に削られた荒々しい岩肌を表現している。

波しぶきには胡粉が用いられており、凪の海にくっきりと刻まれる飛沫の白が巧みに描かれている。

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加山又造
​「​裸婦 素描」
素描画

加山又造の描く主な主題の1つに裸婦が挙げられる。

もともと日本画において裸婦を描く習慣はほとんどなく、江戸期の浮世絵版画や近代日本画において作品内に裸婦が描かれることはあっても入浴や化粧、授乳など日常的な一場面を切り取ったものであった。女性の肉体そのものを正面切って描いた作品はほとんど無く、そのため、日本画の主題としては珍しかった裸婦像を描いた加山の作品は話題となった。加山の描く裸婦像は性や日常とは隔離され、透明感や輝きに満ちたある種、美の概念的な存在として描かれているように感じる。

加山は裸婦について、「私にとって、この、『裸婦』は、現実の人間ではなく、また女でもなく、それを超えた、1つの、美の『存在』になる。」と語っている。

裸婦の美しい線を自分の画面に造ってみたい、そう思い続けながら、こつこつ描き続けている。

しかし、まぶしくなるほど、美しい裸の線は、なかなか私の自由にはなってくれない。

あるときは刃のようにかたく強靭に、又、編布のようにつややかに、微風のようにひそかに、ゆれ、流れ、続く線を遣い求めながら、心のえぐられるような、女人の不思議さを感じる。

それは本当に、恐怖を感じさせる程すさまじくエゴイスティックで、あるいは、あわれにもの悲しく、又、あきれるほど透明で、ゆたかでおおらかに優しい。

私に、そのような、女の裸の線のきびしい秘密を見せ、わからせ、教えてくれた、数人の優しく美しいのモデルになってくださった女(ひと)。

その女(ひと)に、心からの感謝と尊敬、不思議になつかしい愛を感じる。

私は、これからも、裸のとりこになって、宙に線をひきながらさまよいつづけるのだろう。

(日本放送出版協会素描画集『裸婦百態』)

作者紹介

  やまもと   きゅうじん

日本画家 山本 丘人

1900年東京生まれ。1918年に国画創作協会展を見て日本画を志し、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。大和絵の大家である松岡映丘に師事し、大和絵を学ぶ。伝統に根ざしながらも日本画の革新を目指した「新興大和絵運動」や、戦後の日本画革新運動の旗手となった「創造美術」(現・創画会)など、多くの先進的な美術グループの結成に携わった。

また、東京美術学校の助教授や女子美術専門学校の教授として後進の育成にも尽力し、加山又造などの著名な画家を輩出。ヴェネツィア・ビエンナーレをはじめとする国際展にも積極的に出品し、海外でも活躍した。

山本氏は生涯を通じて自らの画風を大きく変貌させ続けた画家である。初期は伝統的な大和絵をベースにした流麗で繊細な作風であったが、昭和30年代には荒々しい岩山などを大胆な遠近感で描く、ダイナミックで骨太な風景画を確立。荒々しい岩山や緊迫感のある川の流れを大胆な遠近感で描き出すその筆致は、それまでの日本画には見られなかった革新的なものであった。晩年には大和絵的で優美、柔らかな筆致による抒情的で豊かな心象風景へと移行した。

伝統的な美意識を持ちながらも、常に新しい日本画のあり方を模索し、「日本画の革新」に挑み続けたその功績が高く評価され、1977年には文化勲章を受章した。

  かやま    またぞう

日本画家 加山 又造

加山又造は京都市の図案家の家に生まれ、祖父も絵師という環境で育った。父の反対を押し切り1940年、京都市立美術工芸学校の絵画科に入学。卒業後は東京美術学校日本画科へ入学した。

時代は戦争末期であり、画学生も多く戦場に駆り出された。戦禍により勤労動員を経験。戦後は急逝した父に代わり家族を支えるため、ポスターや看板描きなど20種以上の仕事を掛け持ちした。この経験が、後の作品に見られる装飾的・デザイン的表現の礎となった。卒業後は山本丘人に師事する。

戦後、日本画は伝統的、国粋的なものを否定する自由解放運動の機運にさらされ、日本画滅亡論が声高に唱えられていた。そのような情勢の中で『新しい時代に対応し得る日本画を創り出そう』という決意のもと山本岳人らが「創造美術」を結成。西洋近代絵画の手法を取り入れつつ、自らの方法を模索し、新しい日本画を目指すという理念に共鳴した加山は、初期にはラスコー壁画やキュビズムなどを吸収した動物画を描いた。

その後、対象を単純化・誇張して美的に昇華する「表現の様式化(装飾化)」に傾倒。尾形光琳の「燕子花図屏風」や「紅白梅図屏風」に見られるような日本独自の装飾観を重視し、琳派風の華麗な屏風絵などを発表して「現代の琳派」と称された。1959年には横山操らとともに「轟会」を発足し、大画面を中心とした装飾的作風を確立。その探求心は終生衰えず、最晩年にはコンピュータ・グラフィックスにも挑戦し、2003年に文化勲章を受章した。

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〒438-0111 静岡県磐田市上野部888

TEL:0539-63-5050

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開館時間:午前 九時三十分〜午後 五時(入館は四時三十分まで)

休館日 :月曜日[月曜日が祝日の場合は開館、翌日休館]

新東名高速道路 浜松浜北ICより飛龍大橋方面へ約10分

        新磐田スマートICより天竜方面へ約10分

天竜浜名湖線​ 上野部駅下車 徒歩約15分

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