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砂漠

現在の期間限定展示

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​「夜明け」
田口善国
​漆絵

赤色野鶏の雄鶏が、熊笹の中にたたずんでいる。雄鶏は今にも朝を告げようとしているかのようである。画面全体には熊笹が描かれているが、下部には余白が残されている。この余白は、鑑賞者と雄鶏との距離感を表すものとも、あるいは夜が終わり朝へと変わる、ある種の境界線とも考えられる。

そして同時に、朝を告げる声が発せられる直前の沈黙を受け止める場として、作品に夜明け前の静謐な気配を与えている。

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加山又造
​「​裸婦 素描」
素描画

加山又造の描く主な主題の1つに裸婦が挙げられる。

もともと日本画において裸婦を描く習慣はほとんどなく、江戸期の浮世絵版画や近代日本画において作品内に裸婦が描かれることはあっても入浴や化粧、授乳など日常的な一場面を切り取ったものであった。女性の肉体そのものを正面切って描いた作品はほとんど無く、そのため、日本画の主題としては珍しかった裸婦像を描いた加山の作品は話題となった。加山の描く裸婦像は性や日常とは隔離され、透明感や輝きに満ちたある種、美の概念的な存在として描かれているように感じる。

加山は裸婦について、「私にとって、この、『裸婦』は、現実の人間ではなく、また女でもなく、それを超えた、1つの、美の『存在』になる。」と語っている。

裸婦の美しい線を自分の画面に造ってみたい、そう思い続けながら、こつこつ描き続けている。

しかし、まぶしくなるほど、美しい裸の線は、なかなか私の自由にはなってくれない。

あるときは刃のようにかたく強靭に、又、編布のようにつややかに、微風のようにひそかに、ゆれ、流れ、続く線を遣い求めながら、心のえぐられるような、女人の不思議さを感じる。

それは本当に、恐怖を感じさせる程すさまじくエゴイスティックで、あるいは、あわれにもの悲しく、又、あきれるほど透明で、ゆたかでおおらかに優しい。

私に、そのような、女の裸の線のきびしい秘密を見せ、わからせ、教えてくれた、数人の優しく美しいのモデルになってくださった女(ひと)。

その女(ひと)に、心からの感謝と尊敬、不思議になつかしい愛を感じる。

私は、これからも、裸のとりこになって、宙に線をひきながらさまよいつづけるのだろう。

(日本放送出版協会素描画集『裸婦百態』)

作者紹介

  たぐち    よしくに

漆芸家 田口 善国

田口善国は、戦後日本の漆芸、とりわけ蒔絵表現に新たな地平を開いた作家である。

大正12年、東京・麻布に生まれ、若くして松田権六に蒔絵を、奥村土牛に日本画を学び、古美術や漆工史にも深く親しんだ。伝統技法を確かな基盤としながら、田口は単なる古典の継承にとどまらず、現代に生きる漆芸の表現を追求した。

昭和36年、日本伝統工芸展に初出品し、以後3年連続で奨励賞を受賞する。特に《蒔絵飾箱 日蝕》では、日蝕に驚くミミズクを黒無地の薄肉浮彫りのような高蒔絵で表し、従来の華麗な蒔絵とは異なる、静かで強い存在感を示した。そこには、動物を外から写すのではなく、その目を通して世界を見ようとする田口独自の感性があらわれている。

その後、研ぎ、つぶ蒔き、針描きなどの技法を深め、虫や小動物、雑草、松かさといった身近な生命を主題に、繊細な陰影と詩情に満ちた世界を築いた。田口の作品では、主題と背景、光と闇、現実と幻想が互いに入れ替わりながら響き合う。小さな生きものへのまなざしを通して、人間の内面や生命の不思議を映し出した点に、田口芸術の大きな魅力がある。1989年、重要無形文化財「蒔絵」(人間国宝)認定。

  かやま    またぞう

日本画家 加山 又造

加山又造は京都市の図案家の家に生まれ、祖父も絵師という環境で育った。父の反対を押し切り1940年、京都市立美術工芸学校の絵画科に入学。卒業後は東京美術学校日本画科へ入学した。

時代は戦争末期であり、画学生も多く戦場に駆り出された。戦禍により勤労動員を経験。戦後は急逝した父に代わり家族を支えるため、ポスターや看板描きなど20種以上の仕事を掛け持ちした。この経験が、後の作品に見られる装飾的・デザイン的表現の礎となった。卒業後は山本丘人に師事する。

戦後、日本画は伝統的、国粋的なものを否定する自由解放運動の機運にさらされ、日本画滅亡論が声高に唱えられていた。そのような情勢の中で『新しい時代に対応し得る日本画を創り出そう』という決意のもと山本岳人らが「創造美術」を結成。西洋近代絵画の手法を取り入れつつ、自らの方法を模索し、新しい日本画を目指すという理念に共鳴した加山は、初期にはラスコー壁画やキュビズムなどを吸収した動物画を描いた。

その後、対象を単純化・誇張して美的に昇華する「表現の様式化(装飾化)」に傾倒。尾形光琳の「燕子花図屏風」や「紅白梅図屏風」に見られるような日本独自の装飾観を重視し、琳派風の華麗な屏風絵などを発表して「現代の琳派」と称された。1959年には横山操らとともに「轟会」を発足し、大画面を中心とした装飾的作風を確立。その探求心は終生衰えず、最晩年にはコンピュータ・グラフィックスにも挑戦し、2003年に文化勲章を受章した。

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〒438-0111 静岡県磐田市上野部888

TEL:0539-63-5050

​*団体予約、お弁当の予約はお電話にてお問い合わせください。

開館時間:午前 九時三十分〜午後 五時(入館は四時三十分まで)

休館日 :月曜日[月曜日が祝日の場合は開館、翌日休館]

新東名高速道路 浜松浜北ICより飛龍大橋方面へ約10分

        新磐田スマートICより天竜方面へ約10分

天竜浜名湖線​ 上野部駅下車 徒歩約15分

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